炭鉱は「危険と引き換えに高賃金」の職場だと思っていた
炭鉱労働というのは過酷だけれど、高い賃金と引き換えに成立する仕事だとずっと思っていました。戦後復興を支えたエネルギー産業の担い手として、危険と引き換えに相応の対価を得ていた人たち——そんなイメージが漠然とありました。だから筑豊の炭鉱が次々と閉山していくのも、石炭から石油へのエネルギー転換という合理的な流れの中での出来事として、どこか中立的に受け取っていました。そのしっくりこなさの正体は、「合理的な産業転換」という言葉の陰に消えた人間の顔が、まったく見えていなかったことでした。
その顔を真正面から見せてくれたのが、上野英信著『追われゆく坑夫たち』でした。
賃金の10%しか現金で受け取れない「地の底」の現実
上野英信は調査者として炭鉱に赴いたのではありません。自ら採炭夫・掘進夫として筑豊のヤマを転々と渡り歩き、そこで生きる人たちと同じ飯を食い、同じ坑道に入り、その実態を1960年に記録した人です。本書が描く零細炭鉱の現実は衝撃的です。賃金として現金で受け取れるのはわずか10%、30%は「パッチン」と呼ばれる金券で支払われ、残りは未払いのまま——。大手炭鉱のクッションとして使い捨てられる中小炭鉱の労働者たちが、どれほど極限の状況に置かれていたかが、生々しい言葉で刻まれています。本書は「下罪人」「追われ流れて」「底幽霊」という3章で構成されており、ぜひ本書で確かめてみてください。
「産業転換」という言葉の陰に見えなかった顔
この本を読んでから、「産業転換」という言葉を聞くたびに、違う場所に意識が向くようになりました。以前は「石炭から石油へ」という流れを、近代化の一側面として粛々と受け取っていました。しかし今は、転換の波に飲み込まれた人たちの顔が自動的に浮かぶようになりました。現代の話として読んでも、製造業の海外移転や地方の過疎化といった話題が、どこか他人事でなくなっています。地面の下で働いた人たちが残した記録が、現在進行形の問いを鋭くしてくれています。
上野英信だからこそ書けた、地の底の証言
上野英信は1923年から1987年まで生き、生涯を通じて筑豊炭鉱地帯の記録と当事者たちとの連帯に捧げた記録作家です。自らも坑夫として生きた者だけが届けられる言葉の重みが、本書の全篇に宿っています。「炭鉱は危険だが稼げる仕事」という思い込みを持ったまま生きていたら、石炭産業の衰退という歴史的出来事の中で、どれだけの人間が「追われ」ていったかは、今も数字の陰に埋もれたままでした。