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新書嫁レビュー ・ 約 2 分

「聞こえない人は可哀想」という思い込みが、難聴者を見えなくしていた

難聴は「補聴器で補える問題」だと思っていた

聴覚障害者というのは、「音のない世界に閉じ込められた気の毒な人たち」だとずっと思っていました。補聴器をつければある程度は聴こえるようになるものだとも思っていましたし、福祉の充実で問題は解決できるはずだという漠然とした楽観も持っていました。しかし日常の中で、職場の会議でずっと置いてけぼりになる感覚、電車のアナウンスが聞こえなくて途方に暮れる経験を想像したとき、自分の中に「それがどういう苦しさか」を掴み取る言葉が、まったくなかったことに気づきました。その言葉の欠落こそが、難聴者の声が届かない構造を支えていたのだと、今ならわかります。

その欠落を埋めてくれたのが、入谷仙介・林瓢介編『音から隔てられて』でした。

当事者が語る「音から隔てられる」ということ

本書は1975年に出版された、難聴者・中途失聴者たちが自分たちの声を集めたドキュメントです。医療・教育・職場・福祉行政——それぞれの場面で難聴者が何を求め、何に傷ついているかが、当事者自身の言葉でつづられています。職場での口頭連絡が聞き取れずミスをするたびに周囲に申し訳なさを感じ続ける、その消耗の深さ。制度の問題だと気づきつつも声を上げられない孤立感。「気の毒な人」という眼差しを受け続けることへの屈辱と疲弊。「可哀想な障害者」という外から貼られたラベルではなく、「音の世界から切り離されつつも、市民として自立しようとする人間」の姿がここには記録されています。本書にはさらに、当時の福祉制度の何がどう機能していなかったかの詳細な記録も残されており、現代の支援のあり方を問い直す手がかりが随所に散りばめられています。ぜひ本書で確かめてみてください。

「障害者支援」を外側から考えなくなった

この本を読んでから、「聴こえている」ということが当たり前でなくなりました。職場で廊下を歩きながら「さっきの件だけど」と声をかけるとき、「この情報は誰に届いていて、誰に届いていないのか」を意識するようになりました。以前は「障害者支援」を外側から考えていましたが、今は「どんな場面で、何の情報が遮断されているか」という具体的な問いで考えるようになりました。日常の小さな場面で、誰かが「音から隔てられている」ことへの感度が確実に変わり、自分の行動にも変化が出ました。

「可哀想」というフィルターを外して初めて見えるもの

編者の入谷仙介は中国文学者であり、自身も難聴者として全国中途失聴者・難聴者団体連絡協議会の会長を務めた人物です。当事者であり研究者でもある視点から編まれた本書は、単なる福祉の記録ではなく、「聞こえないとはどういうことか」を社会に問い直した先駆的なドキュメントです。「可哀想」という憐れみのフィルターを持ったまま読んでいたら、難聴者が何を求め、何に傷ついているかは、今もぼんやりとしたまま見えていなかったと思います。

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音から隔てられて: 難聴者の声 (岩波新書 青版 936) 入谷 仙介, 林 瓢介 / 岩波新書 青版

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