地方の農村が貧しいのは「時代の流れ」だと思っていた
高度経済成長で都市が豊かになる一方、農村が取り残されていく——その話は「歴史の必然」として受け入れていました。工業化が進めば農業の比重が下がるのは当然で、それは悲しいことだが仕方ない、と。でもその「仕方ない」の中で何が起きていたのか、誰が何を言えずにいたのかを、具体的に想像したことがなかったのです。この本は「ものいわぬ農民」という題名が示すとおり、その沈黙の向こうにある声を拾い上げた記録でした。
岩手の農村を歩き続けた著者が聞いた、沈黙の意味
大牟羅良がこの本で語るのは、敗戦後に行商人を経て編集者として岩手県の農村を歩き回る中で見聞きしたことです。「日本のチベット」とも呼ばれた岩手の農村では、農民たちは行政・新聞・研究者の前でほとんどものを言いませんでした。その沈黙は無知や無関心ではなく、長年の搾取と支配の中で培われた「言っても仕方ない」という感覚の結晶でした。
著者が注目するのは、公的な社会調査の「答え」と著者が個人的に聞いた「本音」の大きなズレです。食生活の「向上」をもたらしたのは戦時中の配給制度だったこと、徴兵が農村の閉塞感からの「解放」として感じられた人々がいたこと——これらは公的な記録には残らない。なぜ農民は「もの言わぬ」かの構造と、その言葉を掬い上げることの意味については、ぜひ本書で確かめてみてください。
「沈黙している人」の内側に想像が届くようになった
この本を読んでから、統計やアンケートの「答え」への見方が変わりました。何かの調査で「満足している」という回答が多くても、それは本当に満足しているのか、それとも「言っても仕方ない」という諦念から来た回答なのかは、数字では区別できません。農民の沈黙が「問題なし」ではなく「言えない」から来ているとき、その外側から「大丈夫そうだ」と判断することの危険を、この本は示しています。
職場でも、家族でも、地域でも——「もの言わぬ」人の存在は農村だけの話ではありません。声を上げない人の沈黙に、声を上げない理由がある。それを想像する習慣が、この本を読んで少し育ちました。1958年に書かれた農村の記録が、2026年の今も色あせない理由は、その「沈黙の構造」が変わっていないからかもしれません。
日本エッセイスト・クラブ賞と毎日出版文化賞を同時受賞した記録文学
大牟羅良(1906〜1978年)は熊本県生まれ。戦後に農村地帯である岩手県を拠点として行商・編集者として活動し、農民たちと直接関わりながらその生活実態を記録し続けた著作家です。本書は1958年の刊行後、日本エッセイスト・クラブ賞(第6回)と毎日出版文化賞(第12回)を同時に受賞し、戦後日本の農村問題を記録した文学的ノンフィクションの傑作として評価されています。
この本を読まなければ、「農村の貧困は時代の流れ」という言葉で沈黙している人々の声を一生聞こうとしなかったはずです。言えない人が言えずにいるとき、それを読み取る想像力はどこから来るのかを、この本は問いかけます。
大牟羅良著『ものいわぬ農民』、購入はこちらから。