仏教はお葬式の宗教だと思っていた
お寺は葬儀と法事のときだけ行く場所でした。「南無阿弥陀仏」は死んだ人のための言葉で、仏教は来世への安心を与える宗教——そういうイメージで固まっていました。生きている間の問いに仏教が答えてくれるとは思っていなかった。しかし歴史の流れを見ると、仏教は成立から2600年近くにわたって、数十億人の人間の生き方と考え方に影響を与え続けてきました。「なぜ苦しいのか」「どう生きるべきか」という問いへの答えが、その核心にあったはずです。
釈迦は「死後の世界」を語ることを拒否し続けた
渡辺照宏がこの本で最初に示すのは、仏教の出発点が「来世」ではなく「この生の苦しみ」であることです。釈迦はある弟子に「死後に魂は存在するか」と問われたとき、答えを与えませんでした。これを「無記」といいます。死後のことを論じることは、今ここにある苦しみを解決することとは無関係だからです。
釈迦が出発した問いは「苦」——すなわち人間の存在が根本的に「思い通りにならない」という現実でした。老いること、病むこと、愛するものと別れること、望むものが得られないこと——この「苦」の原因を「渇愛(タンハー)」に見出し、その渇愛を滅することで苦から解放される道を「八正道」として示しました。この構造は哲学でも形而上学でもなく、徹底した実践の体系です。本書ではさらに、釈迦の死後に仏教がいかに変容し、大乗仏教として展開していったかまで解説されています。ぜひ本書で確かめてみてください。
「なぜ思い通りにならないのか」への答えが変わった
この本を読んでから、日常の「イライラ」や「執着」への向き合い方が少し変わりました。思い通りにならないとき、それを「環境のせい」「相手のせい」として処理してきましたが、仏教の視点では「渇愛」——あるべき状態への強い執着——が苦しみを作っているのだと示されます。
「思い通りにならないこと」そのものが問題なのではなく、「思い通りにならないことへの抵抗」が苦しみを作るという逆転は、小さいようで日常の感情の処理を根本から変えうる視点です。2600年前の出発点が、今日の自分の心理にこれほど直接つながっているとは思っていませんでした。宗教としての仏教と、思想・哲学としての仏教の両面を、この一冊が分かりやすく解き明かします。
20以上の言語に精通した仏教学者が描く、仏教の全体像
渡辺照宏(1907〜1977年)は神奈川県生まれ。東京帝国大学文学部印度哲学科卒業後、インド・スリランカに留学してサンスクリット語・パーリ語を習得した仏教学者です。東京大学文学部教授として仏教学・インド哲学を担当し、20以上の言語に精通した碩学として知られます。本書は原著の1956年刊行後に改訂を重ね、「第2版」として今も広く読まれる仏教入門の定番です。
この本を読まなければ、仏教を一生「葬儀の宗教」として誤解し、釈迦が出発した「苦」という問いの深さを知らないままでいたはずです。生きていることの苦しみへの答えとして2600年前に生まれた思想が、今日の自分に届く体験は、この本でしか得られないものです。
渡辺照宏著『仏教』、購入はこちらから。