日本の組織で誰も責任をとらないのは、人間的な問題だと思っていた
大企業の不祥事が発覚するたびに「誰も責任をとらない」という批判が出ます。政治家が失言しても辞任しない、官僚が証拠を隠滅しても処分が軽い、会議では誰も反対しなかったのに失敗したら全員「知らなかった」——こういう光景を見るたびに「日本人はなぜこうなのか」と感じていました。でもそれを「国民性の問題」「個人の倫理の問題」として片付けるだけでは、何十年経っても同じことが繰り返されます。その根本にある「思想の構造」を暴いたのが、丸山真男のこの一冊でした。
日本は「タコツボ型」社会だと丸山は看破した
丸山真男がこの本で示す「タコツボ型」という比喩は、今日も日本社会を考える際に頻繁に使われます。ヨーロッパの思想が「ササラ型」——根元が共通していてそこから各分野が分かれる構造——であるのに対し、日本の知的・社会的組織は「タコツボ型」——個々の専門領域や職域がそれぞれ閉じた壺として並列し、互いに通底しない構造——だというのです。
この構造が「無責任の体系」を生む。誰もがそれぞれの「タコツボ」の論理に従って行動するため、全体を見渡す視点が誰にも持てない。戦時中の「誰も戦争を決めていないのに戦争が始まった」という不思議も、この構造から説明されます。「みんなが少しずつ加担したが、誰も最終的な責任を負わなかった」——現代の組織でも、これと全く同じことが起きています。本書はこの構造を「開国以来の日本の近代化」という歴史的文脈で論じており、その詳細はぜひ本書で確かめてみてください。
「誰も悪くないのになぜかひどいことになる」の正体がわかった
この本を読んでから、組織の失敗を見るときの視点が変わりました。個々の人間は悪くない、むしろ真面目に頑張っている、でも組織全体として間違った方向に進んでいく——その現象を「誰かが悪い」で終わらせるのではなく、「構造の問題」として見られるようになりました。
会議で全員が「異議なし」と言いながら、後で個別に聞くと誰も賛成していなかった——というのは、日本では珍しくない体験です。丸山が言うタコツボ構造の中では、場の論理、立場の論理、空気の論理が個人の判断を圧倒します。その構造を知ることは、「自分もそこに組み込まれていないか」を問う機会になります。歴史上の「誰も責任をとらなかった戦争」と、今日の「誰も決めていないのに進む」組織の問題は、同じ思想的土壌から来ているという指摘は、今日読んでも鋭く刺さります。
戦後日本の最も重要な政治学者が遺した思想的遺産
丸山真男(1914〜1996年)は大阪府生まれ。東京帝国大学法学部卒業後、東京大学法学部教授として政治思想史を担当し、日本の政治学・思想研究の基礎を築いた学者です。1946年発表の「超国家主義の論理と心理」は戦後思想の出発点となった論文として今も読み継がれ、「日本を代表する20世紀の知識人」として国際的にも評価されています。本書は1961年刊行の論文集で、丸山の思想の核心が最も凝縮された形で読める一冊です。
この本を読まなければ、「誰も責任をとらない」という現象を人間の問題として片付け、構造を見落とし続けていたはずです。思想の構造を知ることは、自分がどんな空気の中に生きているかを問い直す力をくれます。
丸山真男著『日本の思想』、購入はこちらから。