日本の近代化は西洋思想の「輸入」だったと思っていた
明治維新以降の日本の近代化は、欧米から思想・制度・技術を取り入れることで進んだ——そう学校で習いました。しかしその「輸入された思想」が、日本社会の中でどのように生きられ、どのように変形し、どのように敗戦後に語り直されたかについて、誰も教えてくれませんでした。日本の近代を生きた知識人たちが、時代の「渦」の中でどう流され、何を信じ、何を手放したのか——その問いを正面から立てた一冊が、1956年に二人の哲学者によって書かれていました。
「転向」という言葉が、戦後日本の思想のすべてを説明していた
久野収と鶴見俊輔がこの本で描くのは、近代日本に生まれた「五つの思想の渦」——理想主義・唯物論・プラグマティズム・超国家主義・実存主義——がそれぞれどのような担い手を持ち、どのような限界を抱えていたかです。
本書を貫く問いの一つが「転向」です。戦前に共産主義や民主主義を信じていた知識人の多くが、軍国主義の高まりの中でその思想を捨て、戦後再び民主主義を語り始めました。この「転向」はなぜ起きたのか。鶴見俊輔はここに「思想の自律性の欠如」を見ます。外から輸入された思想が、自分の生活体験と深く結びついていなかったとき、それは権力の圧力に弱い。思想が「信念」ではなく「借り物」である限り、転向は防げない——この洞察は今日の私たちにも届きます。本書の分析が指す「思想の自律性」とは何か、その詳細はぜひ本書で確かめてみてください。
「誰かの思想を信じる」ことの意味が変わった
この本を読んでから、思想や信念への向き合い方が変わりました。「この考え方が正しい」と信じているとき、それが自分の生活体験から来ているものなのか、それとも「賢い人が言っているから」借り受けているだけなのか——その違いを問うようになりました。
政治的な話題で「こういう立場が正しい」と言っている人が、5年後に全く逆のことを言っている。環境が変わると信念が変わる。本書が描いた戦前・戦後の知識人の転向は、過去の特殊な出来事ではなく、私たちの日常にも潜んでいます。「自分はどこから来た言葉を使っているか」を問う習慣は、この本から生まれました。思想を学ぶことと、思想を生きることは別の営みだということを、久野と鶴見は1956年に問い続けています。
二人の哲学者が日本の知識人史を徹底解剖した
久野収(1910〜1999年)は大阪生まれの哲学者で、京都学派に学びながらそれとは距離を置く独自の立場から日本の思想状況を批判し続けた知識人です。鶴見俊輔(1922〜2015年)はハーバード大学で哲学を学び、プラグマティズムを日本に根づかせようとした哲学者・思想史家で、「転向研究」の先駆者として知られます。本書は1956年、二人の対話と共同執筆によって生まれた日本思想史の古典で、今日も日本の知識人論の基本書として読まれています。
この本を読まなければ、日本の近代化を「思想の輸入」として一面的に見続け、「転向」という現象の持つ深い意味を理解できなかったはずです。思想が「生活と結びついているか」という問いは、現代にも直接届きます。
久野収・鶴見俊輔著『現代日本の思想』、購入はこちらから。