自動車の費用は、持ち主が払えばいいと思っていた
ガソリン代、保険料、駐車場代、自動車税——車を持つことのコストは、持っている人が支払うべきものだと、ずっと当然のように思っていました。電車と車のどちらが経済的かを比較するとき、考えるのはいつも個人の財布の話でした。社会全体への影響というものを、計算の外に置いていたのです。でも、ある数字を知ってから、その前提が崩れました。個人が払う費用と、社会が負担する費用の間に、想像を絶するギャップがあることを、この本が突きつけてきました。
自動車1台が社会に押しつけているコストは、年間200万円を超えていた
宇沢弘文がこの本で示した試算は、1974年当時で自動車1台あたりが社会に与える外部コストが年間200万円を超えるというものでした。道路建設・維持費、大気汚染による医療費、交通事故の後遺症、騒音被害——これらは車の持ち主が払う「維持費」には含まれていません。しかし誰かが負担している。その「誰か」は、車を持たない市民、沿道の住民、子どもたち、そして国民全体です。
宇沢の分析は単なる環境批判ではありませんでした。経済学の概念である「社会的費用」——市場では価格に反映されないコストを誰かが無償で引き受けている問題——を自動車という具体的なテーマに当てはめ、戦後の高度経済成長期に「豊かさの象徴」とされた自動車を根本から問い直したのです。当時の自動車産業が国策として推進される中、経済学者がこれを書いたことの意味は、今読んでも重く感じます。本書はさらに、道路への公有化という解決策の提案にまで踏み込んでいます。その詳細は、ぜひ本書で確かめてみてください。
「便利さ」の影に、誰かの損失があるとわかった
この本を読んでから、街を歩くときの見え方が変わりました。幹線道路沿いの住宅を見たとき、あそこに住む人たちは騒音と排気ガスを毎日受け入れていて、でもそのコストを車の運転者は1円も払っていないという事実が頭に浮かびます。渋滞を排除するために拡張された道路が、沿道の商店街を分断してきた歴史も。
「便利」というのは、いつも誰かのコストの上に成り立っている。経済が効率的に見えるとき、見えていないコストを誰かに押しつけているだけかもしれない——この視点は、自動車だけの話ではありませんでした。現代の物流、格安航空、SNSの無料サービス——「安い・速い・便利」の裏に隠れた外部費用を想像する習慣が、この本から生まれました。経済学を難しいと思っていたのに、この本を読んでから「社会的費用」という概念だけで、世の中の見え方が大きく変わりました。
世界最高峰の経済学者が、日本社会に向けた告発
宇沢弘文(1928〜2014年)は島根県生まれ。東京大学数学科卒業後にスタンフォード大学・シカゴ大学で経済学を修め、シカゴ大学教授として現代経済学の発展に貢献した世界的な経済学者です。ノーベル経済学賞の有力候補として繰り返し名前が挙がり、「20世紀後半の経済学に最も貢献した日本人」と評されています。晩年は市場至上主義を批判する社会的共通資本論を展開し、医療・教育・環境を市場に委ねることの危険性を説き続けました。本書1974年の刊行は、日本の環境経済学の出発点とも言われています。
この本を読まなければ、車の維持費を払えば社会への責任を果たしていると、一生思い込んでいたはずです。「便利さ」の値段が、実は社会全体に分散されていることを知ると、経済という仕組みそのものの見え方が変わります。
宇沢弘文著『自動車の社会的費用』、購入はこちらから。