裁判を避けるのは、日本人の「和を重んじる心」だと思っていた
日本では法律トラブルが起きても裁判にならないことが多い、という話を聞くたびに「それが日本らしさだ」と思っていました。争わず話し合いで解決する。周囲に迷惑をかけない。それは穏やかで成熟した社会の証だと、長いあいだ信じていました。でもその「穏やかさ」の正体を問われると答えられなかったし、どこかしっくりこないものも感じていました。権利を主張することへの強い抵抗感、裁判を起こした人への冷たい視線——それらが「和の文化」で全部説明できるはずがない、という直感がずっとあったのです。
裁判を避けるのは「権利感覚の欠如」だと、法学者が証明した
川島武宜がこの本で示すのは、日本人が示談を好むのは「和の文化」ではなく、権利という概念そのものが根づいていないからだという、鋭い分析です。欧米では「権利」は神や自然から与えられた個人に固有のものとして観念されてきました。しかし日本では、権利は常に「お上」や「共同体」から与えられるもの、あるいは関係の中で生まれるものとして理解されてきました。
本書が特に鮮烈なのは「法は伝家の宝刀」という分析です。刀は普段は鞘に収めておくもので、抜けば関係が壊れる。だから「権利がある」とわかっていても主張しない——それが「常識ある大人」とされる。この構造が、日本の示談志向の正体だと川島は言います。戦後の憲法・民法は欧米の権利概念を輸入しましたが、日本人の法意識は変わっていない。制度と意識のズレが、さまざまな社会問題の根底にあると本書は論じます。さらに家族・雇用・契約に至るまで、日本の法意識の特性をどう読み解くかについては、ぜひ本書で確かめてみてください。
「損をしても言わない」が美徳ではないとわかった
この本を読んでから、日常のいくつかの場面の見え方が変わりました。職場でのハラスメントを黙って受け入れる人、理不尽な条件でも契約書を読まずにサインする人、「波風を立てたくない」と不当な対応に甘んじる人——そういった行動を「性格の問題」や「個人の選択」として見ていたのが、実は社会全体に刷り込まれた「権利は主張するものではない」という意識構造だとわかりました。
「示談で解決する」ことの背後に、権利という概念がどれだけ内面化されていないかを見た気がしました。法律の条文を知ることと、権利があると感じることは、全く別のことです。裁判所を使うのは特別な人がすることではなく、権利を守るための制度として設計されているのに、それが「迷惑をかける行為」として受け取られる社会——その構造が見えると、「なぜ日本ではこうなのか」への答えが一つ、腑に落ちるように整合しました。
東大法学部が生んだ戦後最大の法社会学者の主著
川島武宜(1909〜1992年)は東京帝国大学法学部出身。東京大学法学部教授として「法社会学」という学問分野を日本に確立した人物です。法の条文ではなく、「人々がどのように法を感じているか」を社会科学的に研究するアプローチを日本に根づかせました。本書は1967年の刊行以来、半世紀以上にわたって読み継がれ、法学・社会学・日本文化論の必読書とされています。法律家や研究者だけでなく、「日本社会のなぜ」に関心を持つあらゆる読者に向けられた一冊です。
この本を読まなければ、示談文化を「穏やかさ」と呼んで一生やり過ごしていたはずです。日本人の法意識を知ることは、自分がなぜ権利を主張するときに躊躇するのかを知ることでもあります。
川島武宜著『日本人の法意識』、購入はこちらから。