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新書嫁レビュー ・ 約 3 分

ローマ人は数千年間、ゼロなしで生きていた。「0」が発明される前の世界

ゼロは「当たり前にある数字」だと思っていた

算数を習い始めた頃から、ゼロはそこにありました。0、1、2、3——数直線の一番左に自然に存在して、「何もない」を表す記号として当然のものとして受け入れてきました。数字の歴史が長いなら、ゼロの歴史も同じくらい長いはずだと、ぼんやりと考えていました。数学が面白いと感じたことがなかったのは、こういう「当たり前」の積み重ねの中に、実は信じがたいほど深い謎が眠っていることを知らなかったからです。

ローマ人は数千年間、ゼロなしで生きていた

ローマ数字を思い出してください。I、V、X、L、C、D、M——ゼロに相当する記号がありません。古代ローマは高度な建築・軍事・行政を持ちながら、ゼロという概念を持たなかった。古代ギリシャも同様です。ユークリッド幾何学を完成させ、アルキメデスが精密な計算を行ったあの文明でも、「空の桁」を表す記号は存在しなかったのです。

人類がゼロを発明したのはインドでした。6〜7世紀ごろ、インドの数学者たちが「桁に何もないことを示す記号」として0を定式化し、位取り記数法(桁ごとの位置で数の大きさを決める仕組み)を完成させました。アラビア数字と呼ばれているものの正体は、実はインド数字です。ゼロを含む10個の記号でどんな大きな数も表せるこの仕組みは、アラビア商人を通じてヨーロッパに伝わり、ローマ数字に取って代わりました。なぜインドだけがゼロを発見できたのか、そして後半に展開される「直線を切る」という実数論の世界については、ぜひ本書で確かめてみてください。

ゼロを知ってから、「何もない」という感覚が変わった

この本を読んでから、日常の中の数字の見え方が変わりました。電話番号の途中に現れる「0」、10や100の末尾の「0」——これらはすべて「ここには何もない」という意思表示として機能しています。桁が変わるたびに0が現れる。あの当たり前の仕組みが、数千年の試行錯誤の末にインドで初めて発明されたものだと知ると、今まで何も感じずに書いていた「10」「100」「1000」という数字が急に別のものに見えてきます。

ゼロが発明される前の世界で、人々はどうやって計算していたのか。ローマ数字でXIVからIXを引く手計算を想像すると、あの複雑さが伝わります。ゼロという発明が計算を単純化し、科学を加速させ、コンピュータへの道を開いた。今この瞬間も、あらゆるデジタル機器の中でゼロと1が飛び交っている。その根底には、インドで発見された「何もないことを示す記号」が生きています。当たり前に思えるものの底に、これほど深い発明があったとは——読む前には想像もしていませんでした。

数式を愛した数学者が書いた、数学が好きになる本

吉田洋一は1898年東京生まれ。東京帝国大学理学部数学科を卒業後、北海道帝国大学教授、立教大学理学部数学科教授を歴任し、1964年に立教大学名誉教授の称号を受けた数学者です。難解な概念を一般読者に向けて平易に語る稀有な才能を持ち、ポアンカレ著作集の翻訳など、数学と一般教養をつなぐ仕事を生涯続けました。本書の初版は1939年で、80年以上にわたって読み継がれています。

この本を読まなければ、ゼロを「当たり前にある数字」として一生やり過ごしていたはずです。数学が苦手だという感覚は、こうした発明の経緯を誰も教えてくれなかったことへの、正当な反応だったのかもしれません。

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