哲学は「難しい言葉の羅列」で、日常に関係ないと思っていた
哲学——特に近現代の日本哲学——は難解な用語と抽象的な議論の積み重ねで構成されていて、研究者のための学術の世界の話であって、日常の自分の生活や社会の問題とは接点がない——そんな距離感がありました。「純粋経験」「絶対矛盾的自己同一」といった用語を見ただけで、近づきがたい印象が強くなっていたのです。
でもこの本を読んで、西田幾多郎が「純粋経験」という概念で言おうとしていたことは、現代の「分断された世界」への哲学的な回答であり、今この時代に読む意義が非常に大きいということがわかりました。
この本が、西田幾多郎の哲学への見方を変えてくれました。
「純粋経験」が問い直した「私と世界」の関係
本書は、西田幾多郎を専門に研究する櫻井歓が、西田の哲学の核心を現代的な問いと鮮やかに結びつけながら解説した講談社現代新書の一冊です。西田幾多郎(1870-1945)は、東洋と西洋の哲学を統合した日本独自の哲学体系を築いた哲学者であり、「純粋経験」は彼の出発点となる中核概念です。
「純粋経験」とは、主観(私)と客観(世界・対象)に分かれる以前の、ただ直接的に経験していること——色が見える、音が聞こえる、その直前の純粋な状態を指します。私たちは通常、「私が色を見ている」という主客の分離を前提に経験を捉えますが、西田はその分離以前の状態に哲学の出発点を置こうとしました。
この概念が現代的な意義を持つのは、現代社会が「分断」を深刻化させているからです。私とあなた、自国と他国、科学と宗教、左と右——あらゆる領域で対立と分断が進む中、西田の「対立以前の統一性」への着目は、分断を乗り越えるための哲学的な視点を提供します。対立する双方が「自分は正しく、相手は間違っている」という立場から動かないとき、双方が立っている共通の地盤は何かを問うことが、対話を回復させる第一歩になるかもしれません。西田幾多郎の哲学は、そういった現代的な問いへの射程を持っているのです。本書にはさらに、西田哲学の代表概念と、それが現代社会の問いとどう結びつくかについても詳しく解説されています。ぜひ本書で確かめてみてください。
「対立以前の統一性」への視点が現代を読む鍵になった
この本を読んでから、社会の様々な「対立」を「分断以前の共通性は何か」という問いで見るようになりました。対立は現実ですが、対立の前に何かがあったはずだという視点が、和解と理解への入口を開いてくれます。
哲学が「日常から遠い学問」ではなく、「日常の根底にある問いへの深い応答」であることを、西田幾多郎の哲学は示してくれます。分断が叫ばれる現代に、その分断以前に存在する共通性を問い直す視点として、西田幾多郎の哲学は今こそ深く読む意義を持っています。
西田幾多郎研究者が語る「分断時代への哲学的回答」
西田幾多郎の哲学を専門とする研究者・櫻井歓が、西田の核心概念を現代的な問いと結びつけながら解説した一冊です。難解とされる西田哲学が、現代に読む意義を持つ思想として鮮やかに蘇ります。
この本を読まなければ、西田幾多郎の「純粋経験」を難解な哲学用語として遠ざけたまま、分断された世界への哲学的な回答がそこにあることを知らずにいたと思います。