横浜中華街は昔からにぎやかな観光地だったと思い込んでいた
横浜中華街と聞くと、わたしは色鮮やかな牌楼がいくつも並び、肉まんの湯気が立ちのぼり、観光客で賑わう、生まれたときからにぎやかな観光地の姿を思い浮かべていました。最初から完成された華やかな街として、ずっとそこにあったのだと、なんとなく信じ込んでいたのです。けれど、その思い込みのままだと、街の片隅に立つ古い廟や、華僑の人々が大切に守ってきた組織の存在が、ただの風景にしか見えず、なぜこの街にこれほどの結束があるのかが分からないままでした。その背後にある重い歴史を教えてくれたのが、この本でした。
震災で壊滅し、革命で分裂しながら築かれた街
本書がたどるのは、横浜開港とほぼ同時に生まれたこの街の、波瀾に満ちた歴史です。明治の半ばには横浜の中国人は数千人規模にまで増えていましたが、一九二三年の関東大震災では、れんが造りの建物が次々と崩れ落ち、およそ二千人もの犠牲者が出たと記録されています。街はいったん灰燼に帰したのです。やがて再建されても、戦時下の空襲が再び街を焼きました。さらに戦後、中国本土と台湾の対立がそのまま街に持ち込まれ、華僑社会は国民党を支持する人々と共産党を支持する人々とに引き裂かれます。文化大革命の頃には、その亀裂が街を覆い、同じ通りに暮らす人々が立場を違えて対峙する事態にまで至ったといいます。それでも華僑たちは街を捨てず、知恵と力を尽くして、世界でも有数の安全なチャイナタウンを築き上げました。本書には、加賀町警察署をめぐる物語や、革命に身を投じた人々、戦後に中華料理が日本へ広がっていく過程、そして街を彩った個性豊かな住人たちの素顔が、さらに詳しく描かれています。あの華やぎの下に、これほどの物語が幾層にも積み重なっていたのです。
観光地が「人が守り抜いた街」に見えてきた
この本を読む前のわたしにとって、中華街はただ食べ歩きを楽しむ場所でした。けれど読み終えたいま、あの大通りを歩くと、ここは震災で一度すべてを失い、戦火にも焼かれ、それでも人々が踏みとどまって再び立ち上げた街なのだと感じられるようになりました。廟に手を合わせる人を見れば、立場の違いに引き裂かれた分裂の時代を越えてなお、結束を守り直してきた歴史が背後に見える。関帝廟の朱色も、媽祖廟の灯りも、ただ華やかなだけの飾りではなく、苦難を越えてきた人々の祈りの跡なのだと思える。肉まんを一つ買うときでさえ、この賑わいは当たり前ではなく、誰かが守り抜いた結果なのだと感じられる。同じ街並みが、まるで違う深さを持って立ち上がってきたのです。
知らないままなら、表面の華やかさしか見ていなかった
この本を読まなければ、わたしは中華街の表面の華やかさだけを消費して、その下に積もった歴史にまったく気づかないまま終わっていたはずです。著者の田中健之氏は、拓殖大学日本文化研究所附属近現代研究センターの客員研究員などを歴任し、長年にわたって近現代史を見つめてきた研究者です。資料と証言を丹念に掘り起こし、街に生きた人々の素顔にまで分け入る著者だからこそ描ける、ガイドブックには載らない街の深層がここにあります。自分もあの街を観光地としてしか見ていなかったかもしれない、と感じた方にこそ確かめてほしい一冊です。
※本記事にはアフィリエイトリンク(PR)が含まれます。