戦国武将の男色は「当然の嗜み」だったと思っていた
信長と森蘭丸、謙信と直江兼続。戦国武将が美しい小姓を寵愛するのは武家の当然の嗜みで、世間の誰もがその関係を心から称えていた——歴史ドラマや小説の影響で、私はそんなイメージをすっかり信じ込んでいました。武将と小姓の情愛は、戦国の世ではごく自然な風景なのだと、疑いもしなかったのです。けれど、その理解のままだと、なぜそうした関係がこれほど美しい逸話として今に伝わっているのか、その肝心なところがどこかぼんやりしたまま、すっきりしません。本書を読んで、その思い込みは根底から揺さぶられました。私たちが当たり前に知っている武将たちの艶やかな逸話の多くは、戦国当時のものではなく、後の時代に作られ、語り継がれるうちに膨らまされていったものだったのです。
一次史料に立ち返ると、有名な逸話の足元が崩れる
本書が鋭く指摘するのは、戦国期の主君と小姓をめぐる男色の物語のほとんどが、江戸時代に成立した二次史料を根拠にしているという事実です。著者は、信長と蘭丸、謙信と兼続、武田信玄と高坂昌信といった誰もが知る関係を一つひとつ取り上げ、それが本当に同時代の史料で裏づけられるのかを丁寧に検証していきます。たとえば武田信玄が家臣の春日源助に宛てたとされる起請文は、浮気を疑われた信玄が必死に弁明する内容で知られていますが、本書はこうした史料そのものの性格にも踏み込みます。さらに著者は、武家の男色を単純な同性愛として片づけず、公家や寺院社会の影響を受けた年長者と少年の関係という、より複雑な背景のなかに位置づけ直していきます。後世の軍記物がどのように逸話を「盛って」いったのか、本書にはさらに踏み込んだ検証が続きます。その続きは、ぜひ本書で確かめてみてください。
歴史ドラマの見方が、変わった
この本を読む前は、時代劇や歴史小説に出てくる武将の逸話を、そのまま史実だと思い込んで眺めていました。画面に映る主従の情愛も、教科書のように受け取っていたのです。けれど今は、ある場面を見ても「これはいつの時代に、誰の手で、どんな意図で語られた話なのだろう」と一歩引いて考えるようになりました。たとえば大河ドラマで武将の感動的なエピソードが描かれても、それが同時代の記録に基づくのか、後の世の脚色なのかを、つい確かめたくなる。一次史料と後世の創作を区別するという視点を手にしただけで、これまで漠然と受け取っていた歴史の風景が、急に奥行きを持って見えてきたのです。語り継がれてきた物語と、実際に起きたことの間にある距離を意識する。その面白さに、すっかり引き込まれてしまいました。
知らないままでいたら、創作を史実と信じ続けていた
この本に出会わなければ、私はこれからも江戸時代に作られた物語を戦国の真実だと信じ込み、語り口の巧みさにそのまま乗せられたままだったはずです。著者の乃至政彦さんは、学術雑誌に論文を発表するところから活動を始めた在野の歴史家で、『戦国の陣形』や『謙信越山』などの著作でも知られ、一次史料を地道に読み解く姿勢を貫いています。だからこそ、人気のある通説を鵜呑みにせず、その逸話がどの史料に由来するのかという出どころから問い直す、冷静で誠実な筆致がここにあります。戦国武将の逸話を当たり前のように受け入れてきた方こそ、この本が見せてくれる「検証された歴史」の手応えに触れてみてほしいと思います。