五感はすべて平等に存在すると思っていた
五感——視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚——は人間に等しく備わった感覚で、それぞれ独立した機能として並んでいると思っていました。哲学と五感が結びつくとはほとんど考えたことがなく、「感じること」は主観的な体験であって、論理的に語れるものではないという固定観念がありました。食事を美味しいと感じるのは味覚の問題、美しい音楽に感動するのは聴覚の問題——それ以上でも以下でもないと。でも実は、その感覚すらも歴史の中で哲学者たちが価値を判定し、序列をつけ、意味を問い続けてきたものだったのです。
アリストテレスは嗅覚を「下等な感覚」と見なした
本書が明かす事実の中で最も驚いたのは、古代ギリシャの哲学者アリストテレスが感覚に優劣をつけていたという話です。アリストテレスにとって視覚は最上位の感覚であり、理性と結びつくものでした。一方、嗅覚や味覚は動物的欲求と結びつく「下等な感覚」として軽視されていました。その思想は西洋文化に深く根付き、現代に至るまで「見る」ことが「嗅ぐ」ことよりも知的な行為だという感覚として生き続けています。
嗅覚については、現代社会が悪臭を遠ざける技術を発達させると同時に、匂いへの感受性そのものを弱体化させてきたという指摘もあります。清潔な都市に住む私たちは、清潔であると同時に「鈍感」になっているかもしれないのです。
柳田國男、シュタイナー、ミシェル・セールといった古今東西の思想家たちが五感をどう捉えてきたかという考察は、単なる思想史にとどまらず、「感じる力を取り戻す」ための実践的な示唆として読めます。本書にはさらに、五感が相互に連携してひとつの豊かな体験を生み出す「五感の融合」という視点についても論じられています。ぜひ本書で確かめてみてください。
食卓で起きた、小さな革命
この本を読む前の私は、食事のときにほとんど意識を向けていませんでした。仕事の合間に食べる昼食は「燃料補給」であり、食感や香りに注意を払う余裕はありませんでした。嗅覚が衰えれば味覚も鈍る、という本書の指摘を読んでから、意識的に食べ物の匂いを吸い込むようになりました。
変化は予想以上に大きいものでした。コーヒーの香りに複数の成分を感じ分けられるようになり、雨上がりの土の匂いを以前より鮮明に意識できるようになりました。「感じる練習」が日常の解像度を上げるのだと、身体で理解しました。知る前には「五感を磨く」という言葉は抽象的に聞こえましたが、今は具体的な行動として実践できています。
加藤博子著『五感の哲学』には、人生の後半で五感が衰えていくことへの向き合い方についての考察もあり、年齢を問わずすべての人に届く本です。
感じる力を哲学することの意味
著者の加藤博子は、名古屋大学で文学博士号を取得したドイツ・ロマン派思想の専門家です。複数の大学で美学と文学を教えながら、各地のカルチャーセンターで一般向けの哲学講座を開き続けてきた加藤が書いた本書は、難解な哲学書とは程遠い。むしろ「感じること」を通じて哲学が日常に接続される体験を与えてくれます。