中国哲学は「昔の偉い人の格言集」だと思っていた
中国哲学と聞くと、私はずっと、孔子や老子が遺した古めかしい教訓の寄せ集めのようなものだと思っていました。「仁」や「礼」といった言葉を、道徳の授業で習う心がけのひとつくらいに受け取っていたのです。だからこそ、ニュースで語られる現代中国の振る舞いも、どこか遠い別世界のことのように感じ、その行動原理がうまく腑に落ちないまま過ごしてきました。ところがこの本を開いて、その認識は根底から崩れました。古い格言だと思っていたものは、いまも社会を動かし続けている生きた思考だったのです。
「過去の知恵」ではなく、社会が揺れるたびに鍛え直された思考だった
本書がたどるのは、春秋戦国という乱世に孔子や老子ら諸子百家が現れた瞬間から、朱子学・陽明学という壮大な体系に結実し、やがて西洋近代と衝突しながら現代の儒教復興にいたるまで、およそ三千年の道のりです。印象的なのは、これらの思想が静かな書斎で完成したのではなく、群雄割拠から統一帝国へ、仏教の伝来、キリスト教の宣教、そして革命とナショナリズムという、社会が大きく揺さぶられた局面のたびに問い直され、鍛え直されてきたという視点です。乱世に生きた孔子の言葉が、後の時代に統治のための思想へと読み替えられ、さらに別の時代には個人の内面を問う教えへと姿を変えていく。同じ古典が、時代の必要に応じて何度も意味を上書きされてきたのだと本書は描きます。たとえば朱子学は、単なる道徳の教科書ではなく、世界の成り立ちそのものを説明しようとした壮大な理論だったといいます。そして著者は、これを中国の内側だけで閉じず、西洋を含めた世界史の視座から読み解いていきます。本書では、近代において西洋哲学と向き合うなかで儒教がどう自らを再定義していったかについても、より踏み込んで論じられています。
ニュースの向こう側に、考え方の筋道が見えるようになった
この本を読む前と後で、いちばん変わったのは日々のニュースの受け取り方でした。以前は、海外の報道で語られる中国の発言や政策を、ただ「強硬だ」「異質だ」という印象だけで眺めて、そのまま忘れていました。いまは、その言葉の背後に三千年積み重なってきた思考の筋道があるのかもしれない、と一拍おいて考えるようになりました。国家と個人の関係、秩序の捉え方、自己の修養という発想が、現代の言動のどこに顔を出しているのかを推し量る視点が手に入ったのです。通勤電車で経済ニュースを眺めるときも、相手の主張を頭から否定する前に、その背後にある考え方の組み立てを想像してみる癖がつきました。わからないものを「わからない」と切り捨てるのではなく、その内側の論理をたどってみる。そうすると、遠い別世界に見えていたものが、地続きの思考としてすっと近づいてきました。
この一冊がなければ、隣の大国を理解する糸口を持てなかった
中国哲学を格言集だと誤解したままでいたら、私は隣にある巨大な思考の伝統を、ずっと表面だけ眺めて終わっていたはずです。著者の中島隆博さんは、東京大学東洋文化研究所の教授として中国哲学・世界哲学を長年研究してきた専門家で、東アジア藝文書院の院長も務めています。その学識に裏打ちされた本書は、入門書でありながら、三千年の思想を一本の物語として読ませてくれます。自分も同じ誤解を抱えていたかもしれない、と感じた方にこそ、ぜひ本書で確かめてみてほしい一冊です。