心と体は、別々のものだと思っていました
心はここ、体はあそこ。私はずっと、そう分けて考えていました。心が前向きなら体は後からついてくる、体調が悪ければ気持ちも沈む——その程度のつながりはあっても、根っこは別物だと信じていたのです。けれど、緊張すると胃が痛み、悲しいと胸が重くなる。その感覚を「気のせい」と片づけるたびに、心と体をきれいに切り分ける説明が、どこか自分の実感とずれている気がしていました。野間俊一さんの『身体の哲学 精神医学からのアプローチ』は、その小さなずれを、思考の入口へと開いてくれました。
「からだ」は、こころが住まう器ではなかった
本書が示すのは、心と体は別物ではなく、互いに交差し合い、しかも他者の身体へと開かれている、という見方です。著者は拒食や過食、解離、境界例といった、心と身体の境目で起こる事例に丁寧に寄り添いながら、「こころ」と「からだ」の関係を根底から問い直していきます。
印象に残ったのは、本書が「疎外する身体」として食をめぐる症例を扱う章です。ある女子高生の事例を手がかりに、自分の身体イメージと「私」という感覚がどう成り立つのかが論じられます。鏡に映る自分の体が、自分のものでありながら、よそよそしく感じられる——そうした体験を、本書は症状として切り捨てるのではなく、人が身体を生きるとはどういうことかを照らす窓として読み解いていきます。本書は精神分析でいう「エス」の議論から説き起こし、身体は単なる物体でも、こころを入れておく器でもないことを、一歩ずつ明らかにしていきます。私たちは身体を「持っている」のではなく、身体を「生きている」のだ——そんな視点の転換が、専門的な事例を通して静かに差し出されます。解離や境界例についても、本書ではさらに踏み込んだ考察が展開されます。心と体の境界がほどけていくとき、私たちは何を経験しているのか。その思索の道筋は、ぜひ本書で確かめてみてください。
自分の体の感覚を、軽く扱わなくなりました
この本を読んでから、私は自分の身体の声を以前より丁寧に聞くようになりました。かつては、肩がこわばっていても「ただの凝りだ」と無視していました。今は、その緊張が何かの気持ちと結びついているかもしれない、と一度立ち止まるようになりました。
人混みで急に疲れるとき、誰かと話したあとに体が重くなるとき——以前は理由のわからない不調として流していたものが、自分という存在が他者や環境と身体を通じてつながっている証なのだと捉え直せるようになりました。食事の場面でも、ただ栄養を摂る行為ではなく、自分と世界との関わり方そのものなのだと感じられるようになりました。心と体を切り離さずに眺めると、自分の不調にも他人の不調にも、少しだけやさしくなれた気がします。
当たり前を疑わないままでいるのは、もったいない
もし本書を読まなければ、私はこの先も「心と体は別物」という枠組みのまま、自分の身体感覚を取りこぼしていたはずです。著者の野間俊一さんは京都大学医学部を卒業した精神科医で、ドイツに学んだのち、二十年以上にわたって摂食障害の治療と研究の第一線に立ってきた人物です。臨床の現場で人の心と体に向き合い続けてきたからこそ、哲学と医学を橋渡しする言葉が書けるのだと思います。心と体の関係をなんとなく分けて考えてきた方にこそ、その思い込みが静かに揺らぐ一冊です。