「学力の低い高校に通う生徒は、本人が努力していないか、勉強への意欲が足りないだけだ」とずっと思っていた
高校受験の偏差値や進学実績の数字を見ると、学校ごとの「序列」が当然のもののように頭に入っています。下位に位置する高校に通う生徒たちは、「本人が中学までに努力しなかった結果」「家庭に問題がある場合は自助努力で乗り越えるべき」——そういう自己責任論で片付ける思考が、自分の中にも刷り込まれていました。教育問題を「個人の意欲と能力」のレベルで考え、社会構造の問題として見る視点が欠けていました。
でも、報道される「いじめ」「不登校」「中途退学」の問題と、教育の序列構造との関係を、うまく整理できないままでいました。「学力が低い学校で何が起きているのか」を具体的に知る手がかりがなかったため、議論が抽象論で止まっていました。
朝比奈なを著『ルポ 教育困難校』を読んで、その具体が見えてきました。
「教育困難校」では、家庭の貧困・親の精神的不安定・経済問題が直接教室に持ち込まれ、教員が学習支援以前の対処に追われている
著者が本書で示す核心は、いわゆる「教育困難校」と呼ばれる高校では、生徒の学力低下が「本人の意欲問題」ではなく、家庭の貧困・親の精神的不安定・経済問題・地域コミュニティの崩壊といった重層的な困難が直接教室に持ち込まれており、教員が学習支援以前の生活支援・心理支援に追われているという実態です。著者は元高校教員として、教育困難校に身を置いてきた立場から、在学生・卒業生・教員・PTA関係者の声を集めて構造的に描きます。
特に印象的なのは、教育困難校の生徒たちが「努力しない」のではなく、「努力できる前提条件が崩れている」場合が多いという指摘です。朝食を食べていない、家で寝る場所がない、家族の世話に追われている(ヤングケアラー)、夜にバイトをして家計を支えている——こういう生徒たちに「学力が低いのは努力不足」と言うのは事実誤認です。教員たちは授業を進める以前に、生徒の生活基盤を立て直す支援に時間を割き、しばしばPTA・福祉・医療と連携しなければならない。本書は「自己責任論で突き放すのではなく、彼らを社会や家庭の被害者と捉える視点」が、教育困難校問題を考える出発点だと提示します。本書にはさらに、教員側の疲弊、教育改革が見落としてきた現実、卒業後の進路選択の困難が詳しく描かれています。ぜひ本書でその全貌を確かめてみてください。
「教育問題」の議論を聞くときの視点が変わった
読む前と後で、教育に関する議論への向き合い方が変わりました。以前は「学力テストの平均点を上げる」「グローバル人材を育てる」といった教育改革議論を素直に受け取っていました。でも今は、「その改革は教育困難校の現実をどう前提にしているか」「学力向上の議論で取り残されている生徒たちはどこにいるか」を問う視点を持つようになりました。
具体的には、新しい教育政策の提案や教育予算の議論を見るとき、「能力ある生徒を伸ばす視点」と「困難を抱えた生徒を支える視点」が同居しているかをチェックするようになりました。教育を「能力のある人材育成」だけで語ると、社会の最も支援が必要な層を取り残す。教育は「機会の再分配」という側面も持っていて、その両輪のバランスを問う眼が、本書を通じて育まれました。
元高校教員・教育ジャーナリストが現場の声を集めた構造ルポ
朝比奈なをは元高校教員として教育現場の経験を持ち、現在は教育ジャーナリストとして高校教育・進路問題・教員問題を継続的に取材してきた著者です。「進路格差」「教員という仕事」など、教育格差をめぐる問題を多角的に追ってきた著者だからこそ、本書では新聞報道や統計データでは捉えきれない、現場の重層的な実態が具体的な声と共に描き出されています。
この本を読まなければ、教育問題を「個人の努力不足」として遠ざけたまま、家庭・経済・地域の重層的な困難が教室にどう現れるかという現実と向き合う機会を持てないままでいたでしょう。