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新書嫁レビュー ・ 約 3 分

「地名は地図上の記号に過ぎない」という思い込みが、文書に残されなかったもう一つの日本史を見えなくしていた

「地名とは場所を識別するための符号であり、それ以上の意味はない」とずっと思っていた

地名は地図や住所を特定するための記号だと思っていました。「赤坂」「千葉」「鳥取」——それらは場所を指し示すラベルであり、由来を知れば少し面白い程度のものだと感じていました。地名変更や市町村合併で古い地名が消えていくニュースを見ても、「少し残念だが仕方ない」という程度の受け止め方でした。

でも、アイヌ語由来の地名が北海道の地形を精確に描写していることを知ったとき、何かが引っかかりました。地名とは単に場所を指すだけでなく、その土地に生きた人々が残した言葉の記録かもしれない——そう感じながら、その「記録」が何を伝えているのかを深く考えたことはありませんでした。

谷川健一著『日本の地名』を読んで、その引っかかりが問うべき問いだったとわかりました。

地名は名もなき人々の暮らしの記憶を伝える「もう一つの歴史書」だった

著者が本書で明かすのは、各地の地名をたどることで、文書に記されなかったもう一つの日本史が浮かび上がるという事実です。楠船を操り黒潮の流れに乗ってやって来た海人族の痕跡、白鳥伝説とともに移り住んだ人々の足跡、山深い中央構造線に沿ってたどる鍛冶神の道——地名の中には弥生の時代から近世まで、名もなき人々の暮らしと移動の記憶が刻まれています。

特に印象深いのは、アイヌ語と日本の地名の対応です。「尿前(しとまえ)」と同じ意味を持つアイヌ語由来の地名が津軽半島に存在する——という指摘は、日本列島に暮らした人々の言語と記憶がいかに複層的かを示します。著者は三十年にわたって各地を旅し、地名という「土地の精霊」に招かれるようにして本書を書き続けました。本書にはさらに、各地の地名が呼び起こす土地の精霊との対話が続きます。ぜひ本書でその全貌を確かめてみてください。

旅先での「地名」の見方が変わった

読む前と後で、旅や日常の風景への向き合い方が変わりました。以前は地名を看板として素通りしていました。でも今は、「この地名はどこから来たのか、どんな人々がここに生きていたのか」という問いが自然と浮かぶようになりました。

具体的には、地図を見るとき、見慣れた地名の奥に何かが潜んでいるという感覚が生まれました。「このあたりに鍛治という地名がある——近くに製鉄の痕跡があるかもしれない」「この低地の地名に水の字が使われている——かつて水害が多かった場所かもしれない」。地名という小さな言葉から、その土地の歴史と地形と人の営みが重なって見えてくる体験は、知ることの豊かさを教えてくれました。旅の景色が、記号の羅列から物語の堆積へと変わりました。地名が失われるたびに、その土地に生きた人々の記憶の一部が消えるという感覚も、今は体で理解できます。

日本地名研究所を設立した民俗学者が、三十年の旅から見えた日本を届けた

谷川健一(1921-2013)は東京大学文学部仏文学科卒で、平凡社で「日本残酷物語」「太陽」を手掛けた編集者を経て、民俗学・地名研究の第一人者となりました。1981年に日本地名研究所を設立し、その所長として各地の地名消滅を記録し続けました。2007年には文化功労者に選ばれ、生涯にわたって「地名という精霊」と対話した著者だからこそ書ける一冊です。

この本を読まなければ、地名を「記号」として素通りし続け、文書に残されなかった日本人の暮らしと記憶の層を一生見落としていたでしょう。

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日本の地名 (岩波新書 新赤版 495) 谷川 健一 / 岩波新書 新赤版

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