満州事変も日中戦争も、「時代の流れ」で始まったと思っていた
学校の歴史で習った昭和の戦争は、いつも「軍部の暴走」という言葉でまとめられていました。満州事変、日中戦争、太平洋戦争——それぞれがいつ始まり、どう終わったかは知っていても、誰が、どうやって、何のために始めたのかは漠然としたままでした。「時代の流れ」「軍部の台頭」という言葉が、具体的な人間の行動や判断を覆い隠していた。戦場で何かが起きる前に、現場では何が起きていたのか——その問いを持ったことがなかったのです。
現場の外交官だけが見た、謀略の実態
森島守人が見ていたのは、歴史の教科書に載る事件の「前後」でした。1928年、張作霖が列車ごと爆殺されたとき、森島は現地の外交官として事件の余波の中にいました。その後の満州事変、華北工作、日中戦争と、彼は常に現場で日中間の交渉・折衝に走り回りながら、軍部の謀略行為がどのように準備され、実行されたかを間近に見続けました。
この本が他の昭和史と違うのは、「批判」ではなく「観察記録」として書かれていることです。森島は軍部から圧力をかけられながらも、外交官として現地に留まり続けた。だから「軍が何をどういう理由でやったか」ではなく、「その現場で何が起きていたか」という視点がある。張作霖爆殺が「関東軍の独断」としてどのように処理されたか、柳条湖事件の後に中央政府への苛立ちを露わにする軍人たちの様子——これらは公式の記録には残らない、現場にいた者だけが知る光景でした。本書に登場する軍人・官僚・浪人それぞれの姿と謀略の経緯については、ぜひ本書で確かめてみてください。
「暴走」という言葉の向こうに、具体的な人間が見えた
この本を読んでから、昭和の歴史に登場する「軍部」という言葉への見方が変わりました。「軍部が暴走した」と言うとき、その「軍部」は抽象的な組織として見えています。しかし現実には、特定の人間が特定の判断をして動いていた。謀略を実行した人間がいて、それを黙認した人間がいて、止めようとして圧力に屈した人間がいた。
現場の外交官だった森島が残したのは、その「具体的な人間の顔」です。淡々とした筆致の中に、個人の意図と判断の積み重ねが滲み出ている。「歴史の必然」として処理していたことが、実は一人ひとりの選択と行動の連鎖だったと気づいたとき、「なぜ止められなかったのか」という問いが初めてリアルになりました。昭和史をニュースや教科書で読んできた人間にとって、現場感覚という視点はこれほど違うものかと感じました。
詐術と欺瞞に終始した軍閥の大陸進出を記録した外交官の証言
森島守人(1896〜1975年)は、外務省に入省後、中国駐在の外交官として張作霖爆殺事件から日中戦争の時代を現場で過ごした外交官です。詐術と欺瞞に終始した日本軍閥の大陸進出を、軍に圧迫されながらも外交官として記録し続けた著者だからこそ、公式の歴史書には書けない現場の真実が語られています。本書は1950年の刊行で、昭和史の空白を埋める第一次証言として今も読み継がれています。
この本を読まなければ、「軍部の暴走」という言葉で昭和の戦争を片付けたまま、現場で何が起きていたかを一生問わないでいたはずです。外交官の目が捉えた謀略の実態は、教科書の言葉では絶対に届かない。
森島守人著『陰謀・暗殺・軍刀』、購入はこちらから。