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新書嫁レビュー ・ 約 3 分

歴史の教科書は客観的な事実を書いていると思っていた

歴史とは「起きたことの記録」だと思っていた

歴史の授業で習う内容は、過去に実際に起きた出来事の記録だと思っていました。年号を覚え、人名を覚え、事件の名前を覚える。それが「歴史を学ぶ」ということで、そこに「主観」が入り込む余地があるとは考えていなかった。歴史上の事実は変わらないはずで、誰が書いても同じになるはずだと。しかしその確信が正しければ、なぜ同じ戦争に対して国によってこれほど違う教科書が書かれるのか、という疑問がずっと片付かなかったのです。

「事実は歴史家が声をかけたときのみ語る」とカーは書いた

E.H.カーがこの本で提示する命題は鮮烈です。「歴史上の事実」というものは存在しない——あるのは「歴史家が選び取り、解釈した事実」だけだ、というのです。1066年のヘイスティングスの戦いは事実として起きました。しかし、なぜその年のその出来事が教科書に載り、同年に起きた別の出来事が無視されるのか。それは歴史家が「重要だ」と判断したからです。

カーの言葉の中で最も引用されるのが「歴史とは歴史家と事実の間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去の間の尽きることのない対話である」という一節です。過去の事実は変わらなくても、それを「どの視点から・何を重要と見なして・何のために書くか」は時代ごとに変わる。だから歴史書は書き直される。1960年代のケンブリッジ大学の講義を元に書かれた本書は、歴史哲学の古典として世界中で読み継がれています。「客観的な歴史記述」が本当に可能かどうかという問いの立て方については、ぜひ本書で確かめてみてください。

「教科書が違う」という違和感の正体がわかった

この本を読んでから、ニュースの見え方が変わりました。ある出来事が「歴史的な転換点」として語られるとき、誰がそう位置づけているのかを考えるようになりました。同じ出来事でも、10年後に書かれた歴史書と100年後に書かれた歴史書では、まったく違う意味を持つかもしれない。

日本の近現代史が国によってこれほど違って語られる理由も、「どちらかが嘘をついている」ではなく、「歴史家の立場と目的が違う」という構造から来ているのだと理解できました。それは相対主義でも虚無主義でもなく、歴史を読むときに「誰が・なぜ・何のために書いたか」を問い続けるという、成熟した態度の基盤になります。歴史を「覚えるもの」から「問い続けるもの」へと変えた体験は、この本を読む前と後で明確に境界線があります。

ケンブリッジが生んだ外交官・歴史家の知的遺産

エドワード・ハレット・カー(1892〜1982年)はロンドン生まれ。ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジを卒業後、英国外務省に20年勤務した外交官であり、その後ウェールズ大学・オックスフォード大学で国際関係論・歴史学を教えた歴史家です。14巻からなる大著『ソヴィエト・ロシア史』で知られ、国際関係のリアリズム理論の先駆者でもあります。本書は1961年にケンブリッジ大学で行われた連続講義をまとめたもので、訳者の清水幾太郎も日本を代表する社会学者です。

この本を読まなければ、歴史の教科書を「客観的な記録」として信じ続け、「なぜ国によって違うのか」という問いに一生答えられなかったはずです。歴史を読む目が変わると、現在のニュースを見る目まで変わります。

E.H.カー著(清水幾太郎訳)『歴史とは何か』、購入はこちらから。

この本を手に入れる

歴史とは何か (岩波新書 青版 447) E.H. カー, E.H. Carr, / 岩波新書 青版

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