知識を積めば、いつか行動できると思っていた
「もっと勉強してから行動しよう」「十分に理解してからやればいい」——そういう考え方で、多くのことを先送りにしてきました。知識が十分になれば自信がつき、行動できるようになる、という信念がありました。しかし、知識は増えていくのに、なぜか行動に移せないことの方が多かった。「学ぶ」と「行動する」は別々のものとして当然のように扱っていました。その二つが実は一体だという思想が、中国に15世紀に生まれていたことを、この本で初めて知りました。
「知行合一」——知ることと行うことは同じことだ
島田虔次がこの本で描くのは、中国思想の内部で起きた革命です。朱子学は「格物致知」——物事の理を徹底的に研究してから知を得る——という外向きの学問方法を採っていました。しかし陽明学の王陽明(1472〜1529年)はこれに真っ向から異議を唱えます。「知って行わないのは、まだ知っていないのと同じだ」——これが「知行合一」です。
王陽明は若いとき、朱子学の教えに従って竹を7日間観察し続けて真理を得ようとし、失敗して病に倒れました。その体験から彼は問い直す。理は外の物事の中にあるのではなく、自分の心の中にある(心即理)。そして自分の心の中にある「良知」——善悪を判断する生まれつきの能力——を発揮して行動することが、学ぶことの本体だと論じます。本書ではこの思想が朱子学からの必然的な発展として、歴史的文脈とともに丁寧に解説されています。ぜひ本書で確かめてみてください。
「もっと学んでから」という先送りが減った
この本を読んでから、「知識が十分になったら行動する」という考え方を疑うようになりました。王陽明が言うように、「知っているのに行動しない」なら、それは本当には知っていないのかもしれない。健康に悪いと知りながら不健康な生活を続けるのは、知識としては知っていても「良知」の発揮には至っていない状態だということです。
「準備ができたら始めよう」が先送りの口実になっているとき、陽明学の「知行合一」という言葉を思い出すと、問いの立て方が変わります。行動の中で学ぶ、試しながら知る——その方向性が、書斎の中で知識を積み上げることとは全く違う学びの形を示している。15世紀の中国の思想家が辿り着いた逆説が、今この瞬間の自分の行動習慣に直接つながっていることに、少し驚きました。
中国哲学の泰斗が描いた、思想の必然的発展
島田虔次(1917〜2000年)は神奈川県生まれ。東京帝国大学文学部支那哲学科卒業後、京都大学文学部教授として中国思想史を専門とした哲学者です。『中国における近代思惟の挫折』(1949年)で戦後日本の中国研究に新たな地平を開き、晩年まで中国哲学の研究と翻訳を続けました。本書は1967年の刊行で、朱子学から陽明学への展開を「内面主義の発展」として一貫した論理で描き出した書物として評価されています。
この本を読まなければ、「学ぶ」と「行動する」を別物として一生切り離し続けていたはずです。「知行合一」が単なる格言ではなく、内面の革命から生まれた思想の結晶だと知ると、その言葉の重さが変わります。
島田虔次著『朱子学と陽明学』、購入はこちらから。