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新書嫁レビュー ・ 約 3 分

「見ている」とはどういうことか、一度も問い直したことがなかった

目の前にあるものが「そこにある」のは当然だと思っていた

目を開ければ世界が見える。テーブルの上のコーヒーカップが「そこにある」のは自明のことで、疑う余地もない——長いあいだそう思っていました。哲学の話になるとすぐに「難しそう」と感じてしまっていたのは、この「当たり前」に疑問を持てなかったからかもしれません。ところが「現象学」という思想は、その「当たり前」こそを問い直すところから始まります。コーヒーカップが「ある」と私たちが確信するのはなぜか。「見る」という行為はどのように成り立っているのか——この問いが、20世紀の哲学を根底から変えました。

「見る」ことには、「自然な思い込み」が必ず入り込んでいた

フッサールが始めた現象学の出発点は「自然的態度の中止」という奇妙な操作です。私たちは日常生活で、目の前の物が「客観的に実在している」と無反省に思い込んでいる。フッサールはその思い込みをいったん「括弧に入れる」(現象学的還元)ことで、「意識に純粋に与えられているもの」だけを見ようとしました。

木田元はこの操作を、200ページ足らずの新書でハイデガー・サルトル・メルロ=ポンティへの展開まで含めて解説します。ハイデガーはフッサールの問いを「存在とは何か」という問いへと発展させ、サルトルは実存主義へ、メルロ=ポンティは「身体と知覚」の問題へと引き継ぎました。これほど多くの20世紀哲学の源流がフッサールにあったのかという驚きが読み進めるほど深まります。現象学が医学・心理学・社会科学にどう影響を与えたかについては、ぜひ本書で確かめてみてください。

「わかっているつもり」への疑いが、知覚を豊かにした

この本を読んでから、日常の「見る」行為が少し変わりました。公園で木を見ていたとき、「木がある」と感じていた確信の中に、過去の「木の記憶」や「木はこういうものだ」という先入観が混じっていることに気づきました。現象学が言う「意識に直接与えられるもの」を取り出すことは難しいけれど、そういう問いを持つことで、見慣れたものへの注意が変わります。

「これが何かを知っている」という確信は、実は多くの思い込みと記憶と解釈の束です。それを知ることは、世界をより丁寧に見ることへの入口でもありました。哲学が「現実から離れた抽象論」ではなく、「この瞬間に見ていることの構造を問う」学問だとわかったとき、難しいと思っていた壁が少し低くなりました。20世紀最大の哲学的転回がいかに日常と地続きかを、この薄い新書が教えてくれました。

ハイデガー翻訳の第一人者が書いた、最良の現象学入門

木田元(1928〜2014年)は北海道生まれ。東京都立大学人文学部教授を務め、ハイデガーの『存在と時間』をはじめとする難解な哲学書の翻訳で知られる哲学者です。わかりやすく平易な語り口でありながら内容の深みで知られ、「岩波新書で最も難しいテーマを最もわかりやすく書いた哲学者」と評されます。本書は1970年の刊行で、フッサールからメルロ=ポンティまでを通観する200ページの名著として、今日も現象学の最良の入門書とされています。

この本を読まなければ、「現象学」という言葉が哲学の難解な専門用語として一生通り過ぎていたはずです。「見る」ことを問い直すことが、世界の見え方を豊かにする入口になるとは、この本を読むまで思ってもみませんでした。

木田元著『現象学』、購入はこちらから。

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