「自分らしく」生きることが、現代では当たり前になっていた
「自分らしく生きよう」「本当の自分を見つけよう」——こういった言葉は、今や当たり前のように使われています。でも、「自分らしさ」とは何か、「本当の自分」はどこにあるのか、という問いに向き合ったことがありませんでした。就活のときに「自己分析」をして「自分の強みは〇〇です」と書いたけれど、それが「本当の自分」なのかどうか、どこかしっくりこなかった。「自分」というものが固定したものとしてあるような気がする一方で、毎日少し違う気もする——その違和感の正体を誰も教えてくれなかったのです。
「実存は本質に先立つ」——人間は設計図のない存在だ
松浪信三郎がこの本で紹介するサルトルの命題は、哲学史上最も挑発的な言葉の一つです。「実存は本質に先立つ」——これは何を意味するのか。ハサミという道具は、設計図(本質)があってから作られます(実存)。しかし人間は違う。まず存在してしまい(実存)、その後に何者かになる(本質)。つまり人間には、生まれた時点で「こういう人間だ」という設計図はない。
この命題が意味するのは、「自分らしさ」は生まれつき与えられているのではなく、選択の積み重ねの中で自分が作っていくものだということです。だから「本当の自分」を探しても見つからない——それはまだ作られていないものだから。サルトルはこれを「自由という刑に処せられている」と表現しました。選択を避けることもまた選択であり、人間は逃げ場のない自由の中にいる。この思想の背景にあるハイデガーの「不安」やキルケゴールの「賭け」についても本書は丁寧に解説しています。ぜひ本書で確かめてみてください。
「本当の自分」を探すのをやめた後、楽になった
この本を読んでから、「自分探し」という言葉の意味が変わりました。「本当の自分」は探して見つけるものではなく、選択して作っていくものだとわかると、「まだ自分が見つかっていない」という不安が静まりました。
就活や転職のたびに「自分に合っているか」を悩んでいたのは、どこかに「正解の自分」があって、それと照らし合わせる作業だと思っていたからでした。でも「実存は本質に先立つ」なら、自分に合った仕事を探すのではなく、どの仕事を通じてどんな自分になるかを選ぶことが問いの立て方として正しい。その逆転は小さいようで、毎日の選択の意味を根本から変えました。哲学が「生き方」に直接つながる感覚を、この本は初めて教えてくれました。
サルトル『存在と無』の訳者が書いた、実存主義への最良の入口
松浪信三郎(1913〜1989年)は神戸大学文学部教授を務めた哲学者で、サルトルの主著『存在と無』を日本語に訳した人物です。フランス留学でサルトル本人とも交流し、日本の実存主義研究を開拓した先駆者として知られています。本書は1962年の刊行で、実存主義の誕生した第二次大戦直後の思想状況から始まり、パスカル・キルケゴール・ニーチェの系譜、ハイデガーとサルトルの思想を平易に解説した最良の入門書です。
この本を読まなければ、「自分らしく」という言葉の意味を問い直す機会を逃していたはずです。設計図のない存在として生まれた人間が、選択を通じて何者かになっていく——そのことの重さと自由を、この本が静かに教えてくれます。
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